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東京地方裁判所 昭和58年(刑わ)506号 判決

主文

被告人仲井久雄を懲役二年六月に、同野田吉彦を懲役一年六月に、同宮内睦夫を懲役一年に各処する。

この裁判確定の日から、被告人仲井及び同野田に対してはいずれも三年間、被告人宮内に対しては二年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人楠本智敬、同粟野浩司及び中山信弘に支給した分は被告人三名の連帯負担とし、証人杉本繁俊及び同角田幸子に支給した分は被告人宮内の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯等)

一被告人らの経歴

被告人仲井久雄は、昭和三九年三月大阪府立大学工学部船舶工業科を卒業して同年四月株式会社新潟鐵工所(以下、新潟鉄工という。)に入社し、同四五年三月化工機事業部管理部EDPS課に配属され、同四八年一月同事業部エンジニアリング本部センター技術開発センターEDPSグループ主任、同五二年四月エンジニアリング事業本部エンジニアリング本部技術センター第一技術部EDPSグループ課長職、同五三年八月同事業本部EC本部技術センターEDPSグループマネージャー、同五六年一〇月同グループを担当するエンジニアリング事業本部企画管理本部企画管理部長代理となつた者、被告人野田吉彦は、昭和四一年三月広島大学工学部機械工学科を卒業して、同年七月新潟鉄工に入社し、同四七年二月前記EDPSグループに配属され、同五四年五月同グループ主任、同五六年一〇月同グループマネージャー(課長職)となつた者、被告人宮内睦夫は、昭和三六年にアメリカ合衆国イリノイ州立大学工学部を卒業して帰国し、電子機器の輸入販売会社のセールスエンジニアとして勤務した後、同四四年一〇月、電子機器の輸入販売等を営むプロテック株式会社(以下、プロテックという。)を設立し、代表取締役の地位にあつた者である。

二新潟鉄工におけるコンピューターシステムの開発状況

新潟鉄工は、各種産業用プラントの設計、製作及び建設並びに機械器具の製造及び販売等を営む会社であるが、同社では、昭和四四年ころから、コンピューターの利用により産業用プラントの配管等の設計業務を合理化、省力化して、これに要する費用を大幅に低減させ、同業他社との受注競争で優位を占める目的をもつて、そのためのコンピューターシステムの開発を企図し、エンジニアリング事業本部企画管理本部企画管理部EDPSグループ(EDPSとは、エレクトロニック・データ・プロセッシング・システムを意味する。)にその開発を担当させ、同グループの人員も昭和四四年ころの約一〇名から次第に増員し、昭和五七年八月ころには約三〇名を配置していた。

その間、同グループは、コンピューターを利用して材料の性能や強度等の計算、設計及び各種図面の作成等を行う自動設計製図システム(以下、CADシステムという。)のソフトウェアであるPIPLAN(配管親図自動設計製図システム)、ISO(配管プレファブ図自動製図システム)、EFD(配管系統図自動製図システム)、PMSR・PMCS(配管資材集計管理システム)、AGP・AGSP(汎用CADシステム)、ISAS(構造解析支援システム)、CV一一〇(土建構造設計プログラム)、CP一四〇(耐震設計プログラム)、BGSP・FGSP(基本的ソフトウェア)等と、CADシステムのハードウェアであるIGT五〇〇・IGT七〇〇・IGT八〇〇(対話型画像端末装置)と右装置に接続させるMTC三〇〇(端末制禦装置)及びRPS三〇〇(プロッター遠隔制禦装置)等のほか、プラント建設に当たつて建設プロジェクト全体の費用や工程を最も効率的に計画し管理するためのシステムであるプロジェクト・マネージメント・システム(以下、PMSという。)等を研究、開発した。

三開発したコンピューターシステム関係資料の保管状況及び保管責任者

新潟鉄工においては、開発したコンピューターシステム(以下、本件各システムという。)の成果又は開発途上のデータである各種設計書、仕様書、説明書及び回路図等の資料は、ファイルされて、東京都大田区蒲田本町一丁目九番三号所在の新潟鉄工エンジニアリングセンタービル(以下、ECビルという。)四階EDPSグループ事務室内の棚やロッカーに収納保管され、その保管責任者は課長職であるEDPSグループマネージャーであつた。そして、開発の目的が元来他社との受注競争で優位を占めることにあつたため、右各資料は、当然、同社の機密事項とされていた。

四犯行に至る経緯

被告人仲井は、昭和四四年以降EDPSグループの中心として本件各システムの開発に関与していたが、昭和五一年ころ、同グループの開発したシステムが業務の能率化に役立たないなどといわれて社内でほとんど利用されず、右システムの開発を担当する同グループに対する評価も低かつたことに強い不満をもち、いずれは独立してコンピューターシステムの開発と販売を営む会社(以下、新会社という。)を設立しようという気持を抱くようになつたが、昭和五四年ころには、CADシステムを社外に販売すること(以下、外販という。)によりEDPSグループの社内での評価を高めるとともに、販売先からの要請に応じて技術的により高性能のシステムを開発することを可能にし、そのような技術力の向上と外販の実績を新会社設立の布石ともしようと考え、新潟鉄工に技術者を派遣していた神戸ソフト株式会社(以下、神戸ソフトという。)に対しCADシステムの外販を依頼するのと併行して、上司に対しその外販を進言し、結局これが認められて、新潟鉄工は、昭和五五年春ころからCADシステムのハードウェアであるIGT五〇〇・IGT七〇〇や各種ソフトウェアの外販を始めることとなつた。

同年夏ころ、CADシステムの購入を希望する会社が多いことを知つた被告人仲井は、新会社設立の意向を強め、神戸ソフトの三好社長に対し、「新潟鉄工を辞めて新会社を設立する。神戸ソフトと一緒にやりたい。」と持ち掛けたが、同社長から色よい返事を貰えなかつたため、次の機会を待つこととした。

ところが、昭和五六年春ころ、EDPSグループが外販に伴うソフトウェアのプログラム変更作業等に多大の労力をさかれ、過度の残業まで強いられるような状態になつたことを契機として、新潟鉄工社内に、EDPSグループは本来の目的どおり自社のための技術開発に専念すべきであり、開発したシステムを外販するのは敵(競業会社)に塩を送るようなものだとする意見が強まり、同年七月、既に販売契約を締結した六社以外への販売はエンジニアリング事業本部長の許可を要するものとして、外販を実質的に禁止する方針を決めるに至つた。

被告人仲井は、以上の経緯でCADシステムの外販が禁止された上、昭和五六年一〇月には企画管理部長代理に昇進してEDPSグループから離れ、コンピューターシステムの開発に直接携わらなくなるに及んで、新会社設立の意図を一層強固にし、それまでCADシステムの販売を担当していた新潟鉄工国内営業第三部所属の長谷川正純に対して新会社設立の意向を打ち明けて参加を求め、同人の承諾を得た後、昭和五七年二月末ころから同年三月末ころにかけて、それまで主としてCADシステムのソフトウェアの開発に従事していた被告人野田、同システムのハードウェアの開発に従事していた粟野浩司及び汎用CADシステム、ISAS、PMS等の開発に従事していた藤田秀満に対し、それぞれ、新会社設立の意向を打ち明けて参加を求め、その賛同を得た。

また、被告人仲井は、新会社を設立するにしても当初から一〇社以上の有望な客を確保しておくことが必要であるところ、CADシステムの販売の場合は客に声をかけてから契約を締結するまでに相当期間を要するため、新潟鉄工退社前から客集めをしておく必要があるものと考え、そのような客集めをし、新会社設立後も販売等に協力してくれる会社として、新潟鉄工にIGTの部品を納入していたプロテックを選び出し、昭和五六年九月ころから一一月ころにかけて、プロテックの営業担当社員に対し、新潟鉄工がCADシステムの外販を禁止していること及び同被告人が新潟鉄工を退社する意思であることを秘して、「プロテックを販売代理店にするので新潟鉄工のCADの販売に協力してほしい。」と持ち掛けた上、客に対するCADシステムの実演や販売後の保守管理のために必要なコンピューターの導入及び技術者の確保を要請したところ、右社員からその旨の報告を受けた被告人宮内は、被告人仲井の言葉を真に受け、営業部員中島哲弘等に指示して客集めを行わせると共に、コンピューター導入の検討や技術者の確保を行つた。

(罪となるべき事実)

一業務上横領事件

1被告人仲井、同野田及び同宮内等の間の共謀の成立

被告人仲井は、新会社を設立するとしても新たなコンピューターシステムを開発して販売できるようになるまでに相当の期間と資金を必要とするため、その間新会社を維持するには、当面、新潟鉄工が開発した本件各システムをそのまま、又は少し手直しして販売するほかないものと考え、本件各システムの資料やソースプログラム、ロードモジュール等を退社前に秘かにコピーしておこうと考えた。

そこで同被告人は、昭和五七年三月ころから同年四月上旬ころまでの間に、新会社に参加することを応諾した被告人野田及び粟野に対し、蒲田駅付近の飲食店、新潟鉄工社内等において、「新会社を作つて新しいCADを開発、販売するにしても、十分な資金もないし、立ち上がりまでのしばらくの間は新潟鉄工のCADをそのまままねたり、少し手直しして売つていくほかない。良心に恥じるところはあるが当座は仕方がない。」と話して、「CADのファイルなどのコピーを目立たないように取つておいてくれ。」と依頼し、被告人野田及び粟野は、被告人仲井の意図を知つて、同被告人の言うようにするほかないと考え、その依頼を承諾した。

また、被告人仲井は、プロテックがCADシステムの販売に積極的であることを知つて、同年二月下旬ころ、プロテックの営業部員中島を介して被告人宮内に対し、「新潟鉄工ではもうCADを外販しない方針になつた。自分達は独立して新会社で積極的にCADを販売していきたい。プロテックにも応援してもらいたい。」と伝えた上、同年三月上旬ころ、プロテックの事務所又はECビル近くの寿司店で同被告人と会い、直接、新会社を作つてCADを売つていきたいので協力してほしい旨要請し、同被告人から「新潟鉄工を辞めてCADを売つていけるのか。」と尋ねられると、「新潟鉄工から物を持つてくる。物と言つてもコピーして持つてくるから問題はない。」などと話して、新潟鉄工が開発したコンピューターシステムの資料等をコピーし、新会社ではそれを利用して右システムを手直しするなどして販売する意向であることを打明けた。被告人宮内は、被告人仲井の話を聞き、そのように企業機密を持ち出すことは許されないと考えたものの、既にプロテックとして販売活動を開始し、技術者の派遣等のため資金を投入していることでもあつたので、被告人仲井の方針を了承し、新会社設立への協力要請を応諾した。

更に、被告人仲井は、同年四月二四日ころ、東京都新宿区西新宿七丁目二二番四三号所在のプロテックの事務所において、被告人野田、同宮内、粟野、藤田及び中島と共に新会社設立に向けての今後の計画等を打ち合わせた際、同年四月から六月にかけて本件各システムのファイルやプログラムをコピーしてソフトウェアの準備をし、七月中に準備したソフトウェアをコンピューター内にインストール(装着)し、八月からはシステムの実演をしながら、プログラムについての若干の手直し、ハードウェアの外観の変更を行い、これを「新機軸」と宣伝して市場の開拓を続け、一〇月の新会社設立当初は新潟鉄工を刺戟するのを避けるためひそやかに販売を行い、翌五八年一月から公開宣伝をして大々的に販売を行うなどと説明した上、被告人野田、粟野及び藤田に対し、本件各システムの資料を分担してコピーするよう再び指示し、次いで、被告人宮内に対し、「量が多いので一部はプロテックの事務所でコピーさせてほしい。」と依頼したところ、被告人宮内は、それを承諾した。

以上の経緯により、被告人仲井、同野田、同宮内、粟野、藤田及び中島は、新潟鉄工の本件各システムの資料を新会社で利用するコピーをとるために社外に持ち出すことを意思相通じて共謀するに至つた。

2業務上横領の犯行

被告人仲井、同野田及び同宮内は、前示の経緯により、粟野、藤田及び中島と共謀の上、

(一) 被告人野田、粟野及び藤田が、それぞれ、同年四月下旬ころから同年八月下旬ころまでの間、多数回にわたり、被告人野田が新潟鉄工のために業務上保管中の本件各システムの設計書、仕様書、説明書、回路図等である別表記載の各資料のうち番号1ないし7、10、12ないし14、19、21、22、30ないし42、44、49及び55の各資料を、ニイガタ開発株式会社にコピー作成を依頼するために、情を知らない前記EDPSグループ勤務の事務員等をして前記EDPSグループ事務室から前記ECビル一階のニイガタ開発株式会社蒲田営業所EC営業事務所へ持ち出させ、

(二) 被告人野田、粟野、藤田及び中島が、同年四月二八日ころ、同年五月四日ころ、同月二八日ころ及び同年六月四日ころの約四回にわたり、被告人野田が新潟鉄工のために業務上保管中の別表記載の前同様の各資料のうち番号6、8、9、11、15ないし18、20、23ないし29、33、43、45ないし48、50ないし54及び56の各資料を、前記プロテックの事務所でコピーするために、前記EDPSグループ事務室から右プロテックの事務所へ持ち出し、もつて、自己の用途に供する目的でほしいままに右EDPSグループ事務室から新潟鉄工の社外へ持ち出して横領した。

二詐欺未遂事件

1被告人仲井及び同野田の間の共謀の成立

被告人仲井は、昭和五六年一〇月ころ、石川島播磨重工業株式会社(以下、石川島播磨という。)からCADシステム販売についての引合いがなされた際、同社に販売することが同被告人らの技術力の高さを示すことになり、新会社の評価を高めることにもつながるものと考え、エンジニアリング事業本部長の許可を得ることなしに、被告人野田や長谷川と相談して同社に見積書を提出した上、翌五七年二月にはIGT七〇〇とPIPLAN、ISO等のソフトウェアを同社に仮納入し、更に、同社の利用目的に適合させるためのソフトウェアのプログラム変更作業を被告人野田及び藤田等に行わせた。

被告人仲井は、同年春以降、エンジニアリング事業本部長から石川島播磨への販売の許可を得ようとしたが、それが得られなかつたため、プログラム変更作業を引続き被告人野田及び藤田等に行わせるとともに、許可が得られた際には、右変更作業を社外に下請させたように装つてその外注加工費を新潟鉄工から騙取し、その金を、被告人野田及び藤田がかねて新潟鉄工から借入れ、退社時に一括返済しなければならなくなる住宅資金の返済や新会社の運転資金に充当しようと考えた。

そこで、被告人仲井は、同年六月下旬に石川島播磨へのCADシステムの販売が許可されると、同月二八日ころ、東京都大田区蒲田五丁目三番四号所在の飲食店「蒲田天浅」において、被告人野田に対し、既に同被告人等がその作業の大半を行つていた石川島播磨向けのプログラム変更作業を株式会社テクニカル・マーケティング・リサーチ(以下、T・M・Rという。)に外注したように偽装して外注加工費二、五〇〇万円を取得し、それを同被告人等の住宅資金の返済などに充当しようと話して同被告人の賛同を得、ここに被告人仲井及び同野田は、外注加工費名下に新潟鉄工から二、五〇〇万円を騙取することを共謀するに至つた。

2詐欺未遂の犯行

被告人仲井及び同野田は、前示の経緯により、外注加工費名下に金員を騙取することを共謀の上、昭和五七年七月中旬ころ、前記ECビルのエンジニアリング事業本部企画管理本部事務室において、同事業本部生産本部調達部長等を介して、ソフトウェアに関する外注の代金支払事務等を所管する右企画管理本部企画管理部管理課の同部長代理兼管理課長黒川守雄及び同部員白井良平に対し、EDPSグループがT・M・RにCADシステムのソフトウェアのプログラム変更作業を発注した事実がないのにあるように装い、右プログラム変更作業をT・M・Rに発注した旨の内容虚偽の仕様書及びT・R・Rが右作業を代金二、五〇〇万円で下請する旨の内容虚偽の見積書を提出し、更に、同月下旬ころ、同所において、同人らに対し、T・M・Rが右作業を実施して代金二、五〇〇万円を新潟鉄工に請求する旨の内容虚偽の納品書及び請求書を提出して、二、五〇〇万円の支払方を請求し、T・M・Rを介してこれを騙取しようとしたが、発注したことがないことを同人らに看破されたためその目的を遂げなかつた。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

(本項において、各供述人の検察官に対する供述調書は、作成年月日のうち「昭和五八年」の記載を省略した上、「検察官調書」と略記し、その供述箇所の特定のために証拠書類群の丁数を付記し、また、証拠物の押収番号は符号のみを記載することとした。)

一  業務上横領事件

1本件資料持ち出しの目的について

(一) 弁護人は、被告人らが別表記載の各資料(以下、本件資料という。)を持ち出したのは、新会社で新潟鉄工のCADシステムを手直しするなどして製品を作つて販売するためではなく、(1)被告人仲井等が開発したことの記念品としてコピーを残すためと、(2)同被告人等の設立する新会社が新潟鉄工から下請けして行うことになると考えられた同社の外販したCADシステムの保守管理に必要なコピーを準備しておくためであつたと主張する。

(二) そこで検討するに、捜査段階において、被告人仲井は、「新会社を設立して新規の開発をするには長期間を要し、その間無収入で開発を続ける資金的余裕がなかつたため、しばらくは新潟鉄工のCADシステムをそのまま、あるいは手直しして販売する必要があると考え、本件資料を持ち出すこととした。」旨供述し(同被告人の二月一九・二〇日付検察官調書二〇七六丁以下)、被告人野田及び粟野は、それぞれ、被告人仲井から右のような考えであることを打ち明けられてそれを了承した旨供述し(被告人野田の二月二二・二三日付検察官調書、粟野の二月一六・一七日付検察官調書)、被告人宮内は、仲井が右のような考えであることを知つたが、それを了承した旨供述する(同被告人の二月二二日付検察官調書二五二六丁以下)など、いずれも新潟鉄工のCADシステムを手直しするなどして販売する目的であつたと述べているところ、それらの供述は合理的であるばかりでなく、次の客観的証拠にも合致する。

すなわち、被告人仲井が昭和五七年三月ころに作成したメモ(同被告人の二月二六日付検察官調書添付資料3の一、二一七四丁)には、来島どつくに販売するCADシステムについて「(90OLD+10%α)→見かけはちがうもの」との記載があるところ、右記載は、同被告人が検察官に対して説明した(二一六五丁)ように、右CADシステムの九〇パーセントに新潟鉄工のCADシステムを利用し、一〇パーセントの手直しを加えて見かけの違うものにする趣旨と解されるほか、同被告人が同じころ作成したメモ(前同調書添付資料3の二、二一七五丁)には、新潟鉄工のCADシステムのうち、ハードウェアのRPS、MTCとソフトウェアのBASIC、SUPPORT、AGP/AGSPはいずれも「RENAME」し、PIPLANは「RENAME、MODIFY」するなどと記載されているところ、右記載は、同被告人が検察官に対して説明した(二一六五丁)ように、新潟鉄工のCADシステムであるRPS、MTC、基本的ソフトウェア、支援ソフトウェア、AGP・AGSPについてはリネーム(名称を変更)し、PIPLANは名称を変更すると共にモディファイ(修正)して利用する趣旨と解され、更に、同被告人が四月二四日の打ち合わせの際に作成した予定表(同被告人の二月二一・二二日付検察官調書添付資料2、二一四二丁)には、「ソフトウェア準備―インストール→デモ及びプログラム手直し=新機軸」などと記載されているところ、右記載は打ち合わせに出席した同被告人等がいずれも検察官に対して説明した(二一〇六丁以下等)ように、新潟鉄工の本件各システムのファイルやプログラムをコピーしてソフトウェアを準備し、コンピューターにインストールして実演しながらプログラムを手直しし、それを新機軸として打ち出す趣旨と解されるのであり、被告人らの前記各供述は、事件当時作成された前記メモ等の記載とも合致しており、信用することができる。

これに対し、被告人仲井、同野田及び証人粟野は、当公判廷において、弁護人の右主張に沿う供述をしているが、(1)記念品として残すためであつたとの点については、被告人らも自認するようにコピーを二部ずつ作成していること、粟野の二月一六・一七日付検察官調書(一六一一丁)及び藤田の二月一七日付検察官調書(一七六八丁)によつて認められるように、コピー作業を行つた被告人野田、粟野及び藤田が開発に関与していないシステムの資料もコピーしていること等の事実に照らして不合理であり、また、(2)保守管理のためであつたとの点については、退社後保守管理を下請けするには新潟鉄工を円満に退社し、良好な関係を維持することが前提となると考えられるところ、被告人らも自認するように退職届を一斉に提出するまで一度も上司に相談せず、秘かに数十冊もの大量の資料をコピーしたこと、保守管理のためであるなら、新潟鉄工との間で下請けの話し合いが行われてから承諾を得てコピーすれば足りると考えられること、新潟鉄工が外販したことのないPMSに関する資料(別表番号7ないし14)もコピーしていること等の事実に照らして不自然であつて、到底信用できない。

結局、弁護人の前記主張は採用できない。

(三) なお、本件資料のうち別表番号3及び5に関し、証人粟野は、新潟鉄工在職中に会社の業務に使用するためにコピーしたもので、コピーにはそれぞれ仕事上で使つた書き込みがある旨証言している。しかしながら、検察官作成の昭和五九年一〇月二〇日付捜査報告書によれば、番号3の資料のコピーには三か所の書き込みがあるが、それらはいずれも、コピーの一部を切り取つたために切断された回路を線でつないで修復したに過ぎないところ、その切り取りは、同証人も述べるように、「退社後、新会社で作業をしている際、目障りになる新潟鉄工の社名等を切り取つたときのもの」なのであるから、新潟鉄工の仕事で書き込んだものではなく、退社後書き込んだものであることは明らかである。また、前記報告書によれば、番号5の資料のコピーには二か所の書き込みがあり、それ自体からは退社前になされたものか、退社後になされたものか明らかではないものの、同証人は、「そのコピーを仕事で使つた。」と述べる一方、「この資料は仕事上直ちに必要だつたものではなく、証人自身の研究、勉強のためにコピーしたものである。」と述べるなど、コピーした目的についての証言が明確でないばかりでなく、捜査段階で検察官に対し、押収された番号5の資料のコピーを確認した上で、右コピーは新会社で利用するために作成したもので新潟鉄工の業務のためではなかつたと明確に述べている(同証人の二月二二日付検察官調書)のである。これらの事実に加えて、同証人の証言は客観的証拠に反する点や不合理な点が多く(前記1(二)、後記2(三)(2)参照)、現在も仕事を共にする被告人仲井及び同野田にとつて不利な事実の証言を避けようとする態度が窺われることなどの事実を併せて考慮すると、同証人の前記証言は信用できない。

2被告人宮内の共謀について

弁護人は、被告人宮内が同仲井等と業務上横領の犯行を共謀したことを争つているので、以下この点について検討する。

(一) 前掲各証拠(判示一の事実に関するもの)によれば、次の各事実が認められる。

(1) 被告人仲井は、昭和五七年二月下旬ころ、プロテックの営業部員中島哲弘に対し、「新潟鉄工ではもうCADを外販しない方針になつた。自分達は独立して新会社で積極的にCADを販売して行きたい。プロテックにも応援してもらいたいので、社長にも話してもらえないか。」などと話して、プロテック側に初めて新会社設立の意向を打ち明けたところ、中島は直ちにその旨を被告人宮内に報告した。

被告人宮内は、それまで新潟鉄工の販売代理店になれるものと思つて販売活動を行つていたため、その報告を聞いて驚き、被告人仲井の真意を確めようとして、同年三月上旬ころ、プロテックの事務所又はECビル近くの寿司屋で同被告人と会つたところ、同被告人が「新潟の上層部の方針が変わつてCAD販売ができなくなつた。もう会社が嫌になつたから辞めて新会社を作り、CADを売つて行きたい。そこで、いろいろ協力願いたい。」と協力を要請してきたので、「新潟鉄工を辞めてCADを売つて行けるんですか。」と尋ねると、同被告人から「それは大丈夫です。新潟の方から物を持つてきますから。物と言つてもコピーして持つてくるのだから問題はないですよ。」と言われ、更に「そんなことして大丈夫ですか。」と念を押すと、同被告人から「コピーだから問題はない。我々が長年かかつて開発したものだから、それを我々が持ち出してどこが悪い。」と言われて、結局、被告人仲井が新潟鉄工の本件各システムのコピーを持ち出して設立する新会社に協力することを承諾した。

(2) 同年四月二四日には午後一時ころからプロテックで新会社設立のための打合せを行うことが予定されていたため、被告人仲井、同野田、粟野及び藤田は、午後零時一二、三分ころ退社し、約一時間かけて新宿のプロテックの事務所に赴き、午後一時三〇分ころから、同事務所で被告人宮内及び中島と打合せを行つた。

席上、被告人仲井は、それ以降の行動計画につき、予定表を書きながら、次のように他の者に説明した。すなわち、新会社設立を一〇月初めとし、それまでの予定として、六月までにコンピューターの導入、そのための建屋の建築、通信回線の確保、自動製図機の導入等を行う。それと併行して、六月までに新潟鉄工の本件各システムのファイルやプログラムをコピーしてソフトウェアの準備をし、また、プロテックで雇用した技術者四人の訓練を行い、七月中に準備したソフトウェアをコンピューター内にインストールするとともに、販売市場の開拓を開始し、八月からはシステムの実演をしながら、プログラムについての若干の手直し、ハードウェアの外観の変更等を行い、これらを「新機軸」と宣伝して市場の開拓を続け、一〇月の新会社設立当初は新潟鉄工を刺戟するのを避けるためひそやかに販売を行い、翌五八年一月から公開宣伝をして大々的に販売を行う。その間、被告人仲井は七月一五日に退社してプロテックに技術部長として入社し、市場開拓と技術者四人の指導を行い、粟野は八月初めに、被告人野田、藤田及び長谷川は九月中旬にそれぞれ退社する、などと説明した。

次いで、被告人仲井が、同野田、粟野及び藤田に対し、「各自の担当分野に応じてコピーしてくれ。二部ずつ作つてくれ。」などと、本件資料をコピーするよう指示したところ、被告人野田が「資料の量が多いので、社内だけでは無理だ。」と言い出したため、被告人仲井は、被告人宮内と中島に対し「大変な量なので一部はプロテックでコピーさせてもらえませんか。」と頼んだ。これに対して、被告人宮内は、「土曜日なら結構ですよ。」などと答えて、被告人仲井の右依頼を承諾した。

以上の事実によると、被告人宮内は同仲井等との間で新潟鉄工の本件各システムの資料を新会社で利用するコピーをとるために無断で社外に持ち出すことを共謀したことが認められる。

(二) ところで右(一)(1)の事実に関して、被告人宮内は、「CADシステムの外販が禁止されたので独立するとの仲井の話を中島から伝えられたのは三月中旬である。そこで同被告人と会う日取りを決めるよう中島に指示し、同月中旬の木曜日にECビルを訪ねたものの、同被告人が不在だつたため、再度日取りを決めるよう中島に指示し、翌週の木曜日にECビルを訪ねて同被告人に会つた。会議室で話した後近くの寿司屋へ行き、外販禁止になつた経緯や新会社設立の計画を聞いたが、CADシステムの資料をコピーして持ち出すとの話はなかつた。」と述べている。

証人中島は、日時について相違するものの、概ね被告人宮内の右供述に沿い、「二月二六日に被告人仲井から独立の話を聞いて早速その旨を被告人宮内に伝えたところ、同仲井と会う日取りを決めるよう指示され、三月中旬の木曜日に会えるようにしたが、その日は会えなかつたというので、次の木曜日に会えるようにした。その日被告人宮内と同仲井が会つたと聞いたが、私はその席に顔を出していないので、どのような話合いがなされたのか知らない。」と証言している。

ところで、被告人宮内が同仲井と前示のような話合いをしたことについては、最初参考人として取調べられた中島が「二月に仲井から独立の話を聞いて宮内に伝え、その後間もなくプロテックの事務所に来てもらつた仲井と宮内及び私の三人で話合つた際、仲井が新潟鉄工のCADシステムの資料をコピーするので新会社でもすぐCADを販売できると話した。」旨供述(同人の二月九日付検察官調書、一九七四丁以下)した上、「私の手帳の記載から想い起こすと、仲井から独立の話を聞いたのは二月二六日であり、仲井と宮内が話合つたのは三月一日である。」と述べ(二月一三日付検察官調書、一八三九丁)次いで被告人仲井が「三月初めにプロテックで」と、さらに同宮内が「三月初めに蒲田の寿司屋で」と、場所に関しては相違するものの、話合いの時期及び内容については中島の右供述と同趣旨の供述をしたものである(被告人仲井の二月一九・二〇日付検察官調書、二〇八三丁、同宮内の二月二二日付検察官調書、二五二四丁)。中島の右供述に関しては、取調官の知らない右のような話合いの存在を進んで供述したものであることが認められ、また、被告人宮内の右供述に関しては、場所について「中島がプロテックの事務所だつたと言つているなら、そうかとも思うが、私の現在の記憶では、最初にその話を聞いたのは被告人仲井に呼出されて蒲田の寿司屋で話合つた席だつたように覚えている。」と自らの記憶するところをはつきり述べており、取調官の誘導によるものではないと認められる。なお、一般に、被告人仲井、同宮内及び中島等の捜査段階における各供述は、具体的かつ詳細である上、他の証拠によつて認められる客観的事実ともよく符号する合理的な内容のものであつて(前記1(二)、後記2(三)(2)、後記二参照)、優に信用することができる。

これに比して、被告人宮内及び証人中島の当公判廷における前記各供述は、被告人仲井の話を真に受け、新潟鉄工の販売代理店になれるものと思つて資金を投入した被告人宮内が、CADシステムを外販しなくなつたので独立するという被告人仲井の話を二月二六日ころ聞きながら、重大な関心事であるその話の真偽等を被告人仲井に会つて確めることを三月中旬まで遅らせたとする点において不自然であるほか、右両名の当公判廷における各供述は、他にも客観的事実に符合しない点があり(後記2(三)(2)参照)、信用できない。

(三) 次に、前記(一)(2)の事実に関して、被告人宮内は、「四月二四日午後はプロテックに技術部長として入社することになつていた原武春が愛知県から東京都調布市のアパートに引越してくるので、その手伝いをする予定であつた。そこで、同日午後二時ころ、仲井と野田が打合せのためにプロテックの事務所に来た(粟野と藤田も一緒だつたかどうかは記憶していない。)後、新会社のために導入するコンピューターを設置する建屋の設計等について同人等と三〇分程話したが、午後二時三〇分ころには事務所を出、自動車を運転して調布に向かつた。新宿から調布までは高速道路を利用することもできるが、そのときは甲州街道を利用したところ、混雑しており、アパートに着いたのは午後三時三〇分ころであつた。既に荷物は運び込まれていたので、午後四時三〇分ころまでアパートにいてプロテックの事務所に戻つた。帰途は高速道路を利用したため午後五時ころには事務所に着いた。打合せは既に終わつていて、顔を出すことはできなかつた。仲井がその席上で作成したという予定表のコピーを、翌週、中島からもらい、その際、表についての簡単な説明を受けたことはあるが、CADシステムの資料のコピーのことは聞いていない。」旨供述している。

証人中島も、概ね右供述に沿い、「同日午後二時ころから五時ころまでの間プロテックの事務所で、仲井、野田、粟野及び藤田と中島が打合せをしたが、宮内は最初の五ないし一〇分程度顔を出した後、引越しの手伝いのために退席し、打合せが終わつたときに戻つてきた。打合せの席上で仲井が書いた予定表のコピーを後で宮内に渡した。打合せにおいて本件資料のコピーの話が出たことはない。」と証言している。

(1) 被告人宮内の右供述は、一種のアリバイの主張にあたると考えられるので、まず、この点について判断する。

当日、被告人宮内が原武春の引越しの手伝いのために調布市小島町二丁目のアパートに赴いたことは、証拠上、ほぼ間違いない事実と認められる。

そこで、当日のプロテックの事務所における打合せの開始時刻及び被告人宮内が調布市内のアパートに赴くためプロテックの事務所を出発すべき時刻をできる限り正確に認定し、その間に前記(一)(2)のような内容の打合せを行うことが時間的に可能であつたかどうかを判断する必要がある。

(ア) まず当日のプロテックにおける打合せの開始時刻について検討すると、藤田の手帳(符五号)には同日午後一時の予定として「P」(同人の証言により、プロテックを意味すると認められる。)と記載されており、午後一時ころ打合せを開始する予定であつたことが窺われるが、新潟鉄工の出退勤簿(符七三号)によれば、被告人仲井、同野田、粟野及び藤田は午後零時一二、三分に退社して蒲田のECビルを出たと認められその後、被告人仲井が当公判廷(第一六回公判)で述べるように、約一時間をかけて新宿のプロテック事務所に赴いていると認められるから、実際には、午後一時三〇分ころには打合せを始めることができたと推認される。

(イ) 次に、被告人宮内がプロテックの事務所を出発すべき時刻については、同被告人が調布市内の前記アパートに到着した時刻から逆算することによりできる限り正確な時刻を認定すべきところ、右アパート到着時刻については、証人原武春、同杉本繁俊及び同角田幸子の各証言並びに営業日記(符一三号)によれば、次のように認められる。すなわち、原武春は、同日朝、引越し荷物を積み込んだ自動車を運転して愛知県豊橋市を発ち、午後一時二〇分ないし三〇分ころ、アパートを斡旋した不動産取引業者の事務所を訪ね、賃貸借契約書の作成や賃料等の支払いを終えた後、午後三時ころ、右事務所の事務員角田幸子と共にアパートの所有者杉本繁俊方に赴き、杉本としばらく世間話をしながら被告人宮内が来るのを待つたが、同被告人が来ないので、一時間ほどかけて一人で引越し荷物を部屋へ運び込んだところ、その後被告人宮内が自動車を運転して右アパートに来たことが認められる。以上の事実によると、同被告人が右アパートに着いたのは、午後四時ころから四時三〇分ころまでの間であつたと推認される。なお、この点につき、証人原は、「午後一時過ぎころ杉本宅を訪ね、一時間半から二時間位杉本とよもやま話をしてから引越し荷物を運び込み始め、約一時間かかつて荷物を運び終えた後に宮内が来たので、同人が来たのは午後三時三〇分ころだつたと思う。」と証言するが、原と一緒に杉本宅に赴いたのが午後三時かその少し前ころであつたとの証人角田の証言は、具体的かつ明確なものである上、同証人が作成した営業日記(同日午後の事項として四つの出来事が記載された後に「原さん杉本荘契約決済、名古屋より御苦労様、杉本さんでお茶御馳走になる。」と書かれ、その後には午後四時過ぎの出来事が記載されている。)によつても裏付けられているところであり、また、午後三時過ぎのお茶の時間に原と角田が来たと証言する証人杉本の記憶とも合致しているのであつて、証人角田の右証言と相違する時刻を前提として推論した証人原の時刻に関する右証言は信用できない。

そして、プロテックの事務所から前記アパートまで自動車で行くのに要する時間は、高速道路を利用すれば、被告人宮内も自認するように約三〇分であると認められるので、これによると前記のように午後四時ないし四時三〇分ころ右アパートに到着するためには、プロテックの事務所を午後三時三〇分ないし四時ころ出発すれば足りると考えられる。

(ウ) 以上によれば、同日のプロテックの打合せは午後一時三〇分ころから開始され、被告人宮内も、右開始時から午後三時三〇分ないし四時ころまでの間、右打合せに出席することが可能であつたと認められる。

そして、前記(一)(2)の打合せの内容からすると、右二時間ないし二時間半の間に、そのような内容の打合せを行うことは、十分可能であつたと考えられる。

したがつて、同日被告人宮内が引越しの手伝いのため調布市の前記アパートに赴いた事実は、同日プロテックの事務所において被告人宮内も出席して前記(一)(2)の打合せが行われた事実と矛盾するものではなく、同被告人の主張するようなアリバイは成立しないといわなければならない。

なお、弁護人は、被告人が調布市内の前記アパートに赴くにあたつて高速道路を利用した証拠がないのに、これを前提として事実を認定するのは不当である旨を強調するが、プロテックの事務所から調布市内の前記アパートに自動車で急行しようとする場合、高速道路を利用することはごく通常の経路と認められるから、アリバイの成否の判断にあたり、特段の事情がない限り、右の経路を考慮すべきは当然であるといわなければならない。

また現実に、当時の被告人宮内の立場を考慮しても、当日午後は偶々、同被告人が出席すべき新会社設立に関する重要な打合せと、同人が手伝いを約束していた原の引越しが重なつてしまつたところから、同被告人が、原との約束を気にしながら、右の打合せを終え、その後に自動車を駆り、高速道路を利用して大急ぎで前記アパートに赴いたということは、きわめて自然なことと考えられる。この点については、被告人の公判供述中、同被告人が引越しの手伝いのためにわざわざプロテックの事務所における打合せを欠席し、約束の時間に遅れたことを気にしつつ、前記アパートに赴きながら、その際高速道路の通行料金を惜しんで、あえて甲州街道を利用し、そのためアパート到着まで約一時間を要したという供述の方がむしろ不自然であり、その他、同被告人が高速道路を利用しなかつたことを窺わせるような証拠は全くない。後記(2)のような証拠関係をも考慮すると、被告人宮内がプロテックの事務所における打合せに出席し、その終了後、自動車で高速道路を利用して前記アパートに赴いたと認定すべき十分な理由があるといわなければならない。

(2) 四月二四日の午後、プロテックの事務所において前記(一)(2)のような内容の打合せが行われたことについては、右打合せに出席したと認められる者全員すなわち被告人ら三名のほか粟野、藤田及び中島が、それぞれ検察官の取調べに対し、細かい点で多少の喰い違いはあるものの、概ね一致して、前記認定にそう事実を具体的に供述している。

右六名の各検察官調書は、全体として、供述者相互の記憶の相違や各供述者の弁明をも記載しており、各供述者が検察官の取調べに対し各自の記憶に基づいて述べたところを録取したものと認められる。また、仲井が右打合せの際書いたと認められる予定表のコピー(符三号のファイル在中)が押収されているほか、同日プロテックの事務所で新潟鉄工関係の接待のため近くの喫茶店から六名分のコーヒーを取り寄せたことを証する領収証(符五〇号)及び出金伝票(符四九号)が存在し(同被告人も自認するように、同日午後は他の社員はいなかつたのであるから、六名とは同被告人を含むものと認められる。)、これらの物証も、前記被告人等六名の検察官に対する各供述を裏付け、又は支持するものである。

そして、右六名の検察官に対する各供述において、誰一人として、被告人宮内が打合せの席にいなかつたこと、又は同被告人が打合せの途中で中座したことを窺わせるような状況は述べていない。被告人宮内はもとより、その余の被告人等においても、右の点につきことさら虚偽の供述をすることは考えられず、また事件から検察官の取調べまでの間に約一〇か月を経ているところから、被告人等の記憶がかなり薄れていたであろうことは考慮する必要があるけれども、右打合せにおける被告人宮内の立場、打合せの内容、右打合せの数日後から現にプロテックの事務所でコピーが開始された状況等を考えると、真実は同被告人が右打合せに欠席し、又は途中で中座したのに、六名が六名とも、検察官の取調べの際には、同被告人が終始打合せに出席していたと記憶違いをしていたとは認め難いところである。とくに被告人宮内は、四月二四日午後に引越しの手伝いをしたことを捜査段階では全く想い出さなかつたと当公判廷で述べているところ、同被告人が右打合せの開始前にプロテックの事務所を出、予定表についての簡単な説明を後日受けたに過ぎなかつたとすれば、同被告人が、検察官の取調べを受けた際、検察官から右予定表のコピーを示され、また野田等がプロテックで本件資料のコピーをするようになつた経緯について質問される等、当時の記憶を喚起する種々の手懸りがあつたと推測されるにもかかわらず、右打合せの開始前に事務所を出た事実を全く想い出さないまま、自ら体験していない右打合せの席でのことを自らの体験であるかのように具体的かつ詳細に供述するというようなことは考え難いことである。

以上の理由により、四月二四日の打合せに関する被告人等の各検察官に対する供述調書の記載は、大筋において十分信用することができ、これらと対比すると、被告人宮内及び証人中島の公判廷における前記各供述は、信用することができない。

なお、当公判廷において、被告人仲井及び同野田は、同日に予定されていた打合せは行われなかつた旨を、また、証人粟野及び同藤田は右打合せが行われたか否かはつきりしない旨をそれぞれ供述しているが、これらの供述は、被告人宮内、証人中島の供述とも重要な点で喰い違う上、同日プロテックの事務所で六名分のコーヒーを取り寄せたことを示す領収証(符五〇号)及び出金伝票(符四九号)と明らかに矛盾するもので、前記証拠と対比すると全く信用できない。

(四) したがつて、前記(一)のとおり被告人宮内と同仲井等との間に業務上横領の犯行について共謀した事実が認められる。

3本件資料を私用で持ち出すことも許されていたとの主張について

(一) 弁護人は、本件資料は私用のためでも上司の許可を必要とせずに自由に社外へ持ち出し、コピーすることができたのであるから、本件資料を社外へ持ち出したという本件行為は会社によつて容認されていた行為であり、業務上横領罪を構成しない、と主張する。

(二) そこで検討するに、証人中嶋及び同小林の各証言、就業規則(符八号)並びに秘密保持規程(符七号)によれば、新潟鉄工では、就業規則三条が従業員の遵守すべき事項を定め、その一号で「会社の機密を漏らしたりしないこと」をあげているところ、秘密保持規程はそれを受けて、二条が秘密保持を要する事項を定め、その二号で「当社の技術又は製造上の重要な資料、情報及び設備」をあげていること、本件各システムは、本来他社との受注競争で優位を占めるために多大の費用と時間をかけて開発したものであるから、その開発成果や開発途上のデータである本件資料は、同規程二条二号に該当する秘密保持を要する事項を含む文書であることが認められる。(なお、秘密保持規程五条は、秘密文書にはその保管責任者が印を押捺するものと定められているところ、本件資料には印が押捺されていなかつたことが認められるが、同規程によれば、秘密文書であるか否かはその文書の内容によつて決められるものであつて、印が押捺されているか否かという外形的事実によつて決められるものではないから、印が押捺されていなかつたことは、前記認定を左右するものではない。)

以上の事実によれば、本件資料を私用のために社外に持ち出すことが容認されていたとの弁護人の前記主張はその前提を欠くばかりか、被告人らは、秘密文書である本件資料を、新会社で利用するために、しかも、新潟鉄工が開発したものをそのまま、又は少し手直しして販売するためにコピーしようと考え、上司に秘して社外に持ち出したものであるから、会社によつて許容された行為でないことは明らかであつて、弁護人の右主張は採用できない。

なお、被告人らを含むEDPSグループ員が、新潟鉄工社員という肩書を付した個人名で学会や業界誌に発表する論文を執筆するために本件資料を社外に持ち出すことが容認されていた事実が認められるが、証人小林騏一郎の証言によつても認められるように、そのような論文の執筆は会社の宣伝にもなることから業務という性格をも併せ持つものとして容認されていたのであつて、全くの私用である本件行為に関する前記認定に反するものではない。

4著作権による複製権行使の主張について

(一) 弁護人は、「被告人仲井、同野田、粟野及び藤田が開発した本件各システムの資料である本件資料は、創作的に表現された著作物であつて、しかも、新潟鉄工が法人名義で公表することを予定していなかつたものであるから、著作権法一五条の法人著作に該当せず、被告人仲井等がその著作者と解されるところ、同被告人等は、著作者であることによつて有する著作権法二一条の復ママ製権の行使としてコピーするため本件資料を持ち出したのであつて、正当な権限の行使に当たる。」と主張する。

(二)(ア) そこで検討するに、被告人仲井の二月二六日付(二一六七丁)、同野田の同月二八日付(二三九一丁)及び粟野の同月二六日付(一七三〇丁)各検察官調書並びに被告人野田の当公判廷(第一九回公判)における供述によれば、本件資料中には、CADシステムのハードウェアであるIGTに関し、被告人仲井等が開発した動画コントロール、文字と図形の映像信号の合成、拡大のコントロール等の発明に関する部分もあるところ、それらの発明についての特許を受ける権利は、就業規則の一部である職務発明取扱規則に基づいて、その都度、発明者である被告人仲井等から新潟鉄工に譲渡されたことが認められるのであるから、本件資料中の右発明に関する部分は著作物に該当せず、同被告人等に著作権が生じないことは明らかである。

(イ) その余の本件資料は、コンピューター・プログラム作成途上の作業文書(ワーキング・ペーパー)とも言えるものであるが、証人中山信弘も証言しているように、かかる文書の中には著作権法二条一項一号が「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義する著作物に該当するものもあると解される。

そこで、このように著作物と解しうる資料の著作者が誰であるかを以下検討する。

著作権法一五条は、①法人の発意に基づく著作物であること、②その法人の業務に従事する者が職務上作成するものであること、③その法人の著作名義で公表するものであること及び④契約、勤務規則その他に別段の定めがないことの各要件を充たす場合にはその法人が著作者となる旨定めているところ、本件資料が、右①②及び④の要件を満たすものであることは明らかである。

問題は、右③の要件を満たすか否かにかかるが、同条の解釈として、右③の「法人の著作名義で公表する著作物」には、文化庁著作権審議会第六小委員会(コンピューター・ソフトウェア関係)も解釈しているように、「実際に世の中に法人名義で公表されたもののほか、仮に公表されるとすれば法人の名義で公表される性格のものも含まれる」(同委員会の昭和五九年一月中間報告書三九ページ)ものと解するのが相当である。

そして、本件資料は、当時新潟鉄工の機密事項とされていたため、現に公表の予定はなかつたけれども、将来機密が解除され、公表されることとなれば、当然新潟鉄工の名義で公表される性格のものであつたと認められる。

けだし、新潟鉄工においては新しいコンピューターシステムを開発するため、同社の技術開発部門に属するEDPSグループにその研究開発を命じ、同グループにおいては、これに所属する多数の技術者らが同社の勤務時間内に、同社の予算を使い、かつ、同社の職制上の指揮命令に従つて、組織的に協同して研究開発の作業を行つたものであり、本件資料は、右EDPSグループにおける組織的な共同作業の過程で作成された、いわゆるワーキングペーパーとも言えるものである。本件資料には多数の文書、図面等が含まれているが、右各資料の内容は、それぞれ、各資料の作成に先行する共同作業の成果を基礎とするとともに、将来の共同作業の基礎となり、またその過程で必要な修正等を加えられるべき性質のものである。

以上のような本件資料の作成経過、性質等からすると、本件資料の内容は、全体として、新潟鉄工の会社組織の活動である前記共同作業によつて産み出されたものと認められる。

また、本件資料は、現に新潟鉄工においてファイルに分類整理の上保管し、もつぱら同社の業務のため使用していたものであり、同社は、これを企業秘密とし、各資料の作成者を含む全社員に対し本件資料の公表を禁止している状況にあつた。

以上のような事実に徴すると、本件資料は、仮に公表されるとすれば、当然新潟鉄工の名義で公表される性格のものであつたと認められる。

したがつて、本件資料中の著作物と解しうる資料の著作者は、新潟鉄工であつて、被告人仲井等ではないと解される。

なお、以上の解釈につき証人中山は、「同法一五条は、著作物を創作した者(従業者)以外の者(法人)が著作者になるとする例外的規定であるから厳格に解釈されなければならず、そのため、法人名義で公表するもの及び公表を予定しているものは③の要件を満たすと解することができるが、公表を予定していないものは前記③の要件を満たさないので、従業者が著作者となるものと解される。もつとも、この点について言及した学説はないが、同条にはこのような解釈上の問題があるため、法改正によつて、従業者が職務上作成した著作物の著作者を原則として法人とする規定を設けようとの動きがある。」旨証言し、反対の見解を示している。

しかし、本件資料のような場合を考慮すると、公表を予定していないものは、すべて、前記③の要件を満たさず、従業者が著作者となるとの解釈の妥当性には疑問がある。すなわち、著作者は、同法一七条一項によつて、公表権(同法一八条)その他の著作者人格権と複製権(同法二一条)その他の著作権を享有するところ、本件資料のように法人内部で作成、管理され、資料の性質上企業秘密とされるものにつき、現に公表が予定されていないことを理由に、常に③の要件を満たさないとし、公表するか否かを決定する権限をも含む公表権を従業員に与えるということは、法人が秘密とするが故に、逆に従業者に公表する権利を与えるという、不合理な結果を招来する。このような不合理な結果が生ずるのを避けるためには、現に公表が予定されていないものはすべて③の要件を満たさないと解するのではなく、前記のように資料の性質上仮に公表されるとすれば法人の名義で公表されるようなものは③の要件を満たすと解するのが相当である。そして、このように解しても同法一五条が例外的規定であることと矛盾するものではないと思われる。

(ウ)  結局、本件資料の所有権が新潟鉄工に帰属することは前掲各証拠によつて明らかであるところ、以上のとおり、本件資料の一部は被告人仲井等が新潟鉄工に対して特許を受ける権利を譲渡した発明に関するものであり、その余のうちの著作物と解されるものの著作者は新潟鉄工であつて、結局、同被告人等が本件資料の著作者ではないのであるから、弁護人の前記主張は採用できない。

5一時持ち出し行為は業務上横領罪に該当しないとの主張について

(一) 弁護人は、被告人らが本件資料を持ち出したのは、単にコピーするためであつて、処分する意図はなく、コピーした後に元の場所に返還しているのであるから、被告人らには不法領得の意思はなかつた、と主張する。

(二)  そこで検討するに、他人の物を一時的に持ち出した際、使用後返還する意思があつたとしても、その間、所有権者を排除し、自己の所有物と同様にその経済的用法に従つてこれを利用し又は処分をする意図がある限り、不法領得の意思を認めることができると解されるところ、前記認定のとおり、被告人らが持ち出した本件資料は、新潟鉄工が多大な費用と長い期間をかけて開発したコンピューターシステムの機密資料であつて、その内容自体に経済的価値があり、かつ、所有者である新潟鉄工以外の者が同社の許可なしにコピーすることは許されないものであるから、判示のとおり被告人等が同社の許可を受けずほしいままに本件資料をコピーする目的をもつてこれを同社外に持ち出すにあたつては、その間、所有者である新潟鉄工を排除し、本件資料を自己の所有物と同様にその経済的用法に従つて利用する意図があつたと認められる。したがつて、被告人らには不法領得の意思があつたといわなければならない。

二  詐欺未遂事件の犯意について

弁護人は、被告人仲井及び同野田は、石川島播磨に外販したCADシステムのソフトウェアの変更作業を同被告人らが新潟鉄工を退社した後に行おうと考え、右作業に要する費用を予算の先取りとして確保するために二、五〇〇万円を請求したのであるから、T・M・Rに外注したこととして請求したのは架空ではあるものの、金員を騙取しようとする意図はなかつた、と主張する。

そこで検討するに、被告人仲井及び同野田は、当公判廷において、右主張に沿う供述をしているところ、右各供述には、退社を企てている者が退社後に会社が行うべき仕事を自ら会社のために行おうと考えたという点、にもかかわらず、同被告人らも自認するように、上司にあらかじめ相談しようともせず、予算の先取りをする場合には事前に相談していたという企画管理部管理課にも無断で、金員の支払方を請求したという点、会社のための予算の先取りであるとしながら、請求した二、五〇〇万円はT・M・Rを通じてプロテックに保管しておき、会社に戻すことなしに同被告人らがプロテックから受取るつもりであつたという点など、不自然な点が極めて多い。

しかも、楠本智敬の二月二六日付検察官調書によれば、石川島播磨への外販に伴うソフトウェアの変更作業の大半は、同被告人らが二、五〇〇万円の支払いを求める以前に被告人野田、藤田等が行つていたことが認められ、右作業全体を外注するための予算二、五〇〇万円のすべてを残された作業のために先取りしたという同被告人らの前記供述は、右の客観的事実にも反しており、信用できない。

他方、同被告人らは、捜査段階において、いずれも、右作業は既に被告人野田と藤田が行つていたが、退社時に返済しなければならない被告人野田と藤田の住宅資金等の借入金の返済資金及び新会社の運営資金とするために二、五〇〇万円を請求したと述べている(被告人仲井の二月二二・二三日付検察官調書及び被告人野田の二月二〇日付検察官調書)ところ、右の各供述は、右作業の大半が終わつていたという前記の事実に符合する上、証人長谷川及び同藤田の各証言並びに粟野及び藤田の各二月二四日付検察官調書にも裏付けられたものであつて信用することができるので、結局、弁護人の前記主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人仲井、同野田及び同宮内の判示罪となるべき事実一の所為はいずれも包括して刑法六〇条、二五三条(被告人仲井及び同宮内については更に同法六五条一項)に該当するところ、被告人仲井及び同宮内には業務上占有者の身分がないので同法六五条二項により同法二五二条一項の刑を科することとし、また、被告人仲井及び同野田の同二の所為はいずれも同法六〇条、二五〇条、二四六条一項に該当するところ、被告人仲井及び同野田の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、いずれも同法四七条本文、一〇条により、被告人仲井については重い右二の罪の刑に、同野田については犯情の重い右一の罪の刑にそれぞれ法定の加重をし、その各刑期の範囲内で被告人仲井を懲役二年六月に、同野田を懲役一年六月に、同宮内を懲役一年にそれぞれ処し、情状により被告人三名に対していずれも同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から被告人仲井及び同野田に対しては各三年間、被告人宮内に対しては二年間それぞれ右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文(連帯負担部分につき、更に一八二条)により、証人楠本智敬、同栗ママ野浩司及び同中山信弘に支給した分は被告人三名に連帯して負担させ、証人杉本繁俊及び同角田幸子に支給した分は被告人宮内に負担させることとする。

(量刑の事情)

本件業務上横領事件は、新潟鉄工でコンピューターシステムの研究開発に従事していた被告人仲井が、独立してコンピューターシステムの開発と販売を営む新会社を設立しようと企図し、部下である被告人野田等の技術担当社員や営業担当社員を誘つた上、資金面と営業面での協力を被告人宮内に求めたものの、新会社が新たなシステムを開発して販売するまでに数か月の期間を要することから、当面、被告人仲井及び同野田等が開発に関与した新潟鉄工のコンピューターシステムの名称だけを変えてそのままの内要ママのものを、あるいは多少の手直しを加えたものを販売しようと考え、他の被告人等にはかり、被告人らが共謀の上、被告人野田を保管責任者として社内に保管されていた企業秘密資料のファイル数十冊をコピーするために社外へ持ち出したという事案である。

右犯行は、長年新潟鉄工に勤務し、右コンピューターシステムの開発につき部長代理又はグループマネージャーという最も責任ある地位にあつた被告人等による背信性の強い行為である上、犯行の方法も、被告人仲井等が退社するまでの数か月の間、被告人野田、栗ママ野等が実行を分担し、会社の平常の業務を装つて情を知らない事務員らに資料を持ち出させたり、又は他の社員の退社後や休日に秘かに資料を持ち出したりしたというもので、組織的で計画的な犯行といわざるを得ない。

被告人らが持ち出した資料は、新潟鉄工が十数年間にわたつて一〇名ないし三〇名の社員を配し、多額の研究開発費等を投じて開発してきた成果の結晶であり、その内容が右開発につき最も責任ある立場にある者らの手によつてほしいままにコピーされ、そつくり社外に持ち出されること自体、同社にとつて衝撃的な出来事であり、同社幹部の憂慮と憤りは大きかつたと推測される。

次に、本件詐欺未遂事件は、被告人仲井及び同野田が新潟鉄工を辞めるにあたり、新会社の運転資金や被告人野田等が新潟鉄工から借入れていた住宅資金の返済に充てる金を捻出するためにプログラム変更作業外注加工費名下に二、五〇〇万円を騙取しようとした事案である。騙取しようとした金額が多額である上、同被告人らは下請業者に依頼して架空の見積書、請求書等を新潟鉄工宛に提出させ、架空であることが会社側に発覚しそうになるとその下請業者に口裏を合わせるよう依頼するなどの罪証隠滅工作も行つており、これまた犯情がよくない。

このように考えてくると、本件に対する新潟鉄工の被害感情がきわめて強いことも容易に理解できるところであり、被告人らなかんずく各犯行において主導的な地位にあつた被告人仲井の刑責は重いといわなければならない。

しかし他方、本件業務上横領の動機についてみると、被告人仲井等は、自分らの開発したコンピューターシステムが社内であまり利用されず、外販も禁止されたところから、独立しようと考えるに至り、その際、同被告人等の経験及び能力からすれば、本件資料の内容をコピーして持ち出さなくても、自分らの頭脳だけでいつそう高性能のシステムを開発することが可能であり、現に、被告人らは、そのような高性能の新システムの開発を計画していたのであるが、新会社の発足にあたり、右開発に要する数か月間全く市場開発、販売等の営業活動をすることができないというのでは、新会社の経営が苦しいところから、いわばその間のつなぎとして、新潟鉄工で開発したシステムをそのまま又は少し手直しして用いるという安易な手段を選び、本件犯行に及んだものと認められる。もとより、右の動機もはなはだ身勝手なもので、非難を免れないが、しかし、他人のアイデアを盗み、もつぱらこれに頼つて事業を営もうとしたものではない点において、たとえばいわゆる産業スパイなどの場合に比べると、行為に対する社会的評価も自ずと異なり、動機についても酌量の余地があると思われる。

また、右業務上横領事件の結果についてみると、横領の対象となつた本件資料はコピー後速やかに新潟鉄工に返還されている上、本件資料のコピーについても、幸い、被告人仲井等が新潟鉄工に辞表を出した直後ころ、本件資料持出しの事実が同社に発覚し、新会社におけるコンピューターシステムの製作に右コピーを利用するのは危険と考えられる事態となつたため、結局、右コピーは同被告人等によつて全く利用されることなく、いたずらに隠匿死蔵され、その後本件捜査の過程で捜査機関に押収されるに至つたものと認められるので(新会社における新システムの開発はもつぱら被告人仲井等の頭脳によつたものと認められる。)、以上によると、本件業務上横領により新潟鉄工が実質的に大きな経済上の損失(実害)を蒙ることはなかつたと認められる(なお、被告人仲井等は、本件資料のコピー等により新潟鉄工に与えた直接の損害については、同社に対し弁償の申出をし、さらに供託の手続をとつている。)。

詐欺未遂事件においても、幸い未然に会社側に発覚したため実害は生じていない。

その他、被告人らにいずれも前科前歴がないこと、被告人らは当公判廷では種々の弁解を弄しているけれども、本件で逮捕、勾留された捜査段階においては自己の非を全面的に認めて悔悟の情をあらわにしており、この悔悟は被告人らの真情に出たものと認められること、被告人仲井及び同野田は本件によつて新潟鉄工を懲戒解雇され、その後被告人宮内が協力して設立した新会社も本件摘発によつて経営を維持できなくなるなど、各被告人とも本件により相当の社会的制裁を受けていること、現在、被告人仲井及び同野田は他の協力者が設立した別会社において高性能のコンピューターシステムの開発等の仕事に携わり、被告人宮内は前記プロテックの経営を続けるなど、いずれも安定した生活を送り、再犯等のおそれは全くないこと等、被告人らのために酌むべき事情も認められる。

当裁判所は、被告人らが本件犯行において果した役割等に併せて、以上の一切の有利不利の事情を総合考慮した上、主文の刑を量定した。

よつて主文のとおり判決する。

(吉丸真 池田修 秋吉淳一郎)

別表〈省略〉

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